私は米製品を扱った加工品の販売とサービスを生業としている。米製品の加工品の販売が主であるが。自社の作地で稲作も営む。自家の稲作のコメでは足りないので稲作農家からもコメを買う。コメの需要と供給を両方見てきた。 稲作の苦悩とコメの需要と供給を見てきた人は日本でも数少ないと思う。その私が稲作はなぜ聖域なのか? その聖域ゆえの難しさを話して行きたいと思う。
聖域を守ったと誇る外務大臣と農水大臣。
TPPとか日米交渉で外務大臣や農水大臣は「聖域は守った」と誇る。勿論、聖域とはコメである。日本の利益だけを考えれば稲作を捨てて対米輸出の自動車関税などをもっと下げた方が良い。ただ政治家としてはそれは出来ない。対外的に稲作を譲歩するとマスコミや国民に総叩きにあう。「日本外交の敗北」「聖域を守れなかった日本」「地産池消に逆行」「稲作農家を捨てトヨタを救った日本」「国家主権の放棄」「平成のコメ騒動を忘れたのか!」「日本の安全保障であるコメの放棄」と右の産経新聞から左の赤旗まで批判するだろう。保守であり農家の機関紙である日本農業新聞などは稲作保護のキャンペーンを連載するだろう。ただ唯一、日本経済新聞だけは稲作を聖域として見ていなくて、ただの穀物商品とみなして、コメはコモディティーの一部と割り切っている。だから日本経済新聞は稲作に関しては俯瞰的な論評をする。
日本経済新聞以外ほとんどのマスコミと世論を敵にまわすのである。
日米半導体協定で「産業のコメ」と言われた半導体を全く守れず。半導体分野で屈辱的な不平等条約をアメリカと結ばされた。日本の製造業の衰退はこの 日米半導体協定 から始まったと言っても過言ではない。日本の国益だけを考えると「稲作のコメ」を捨ててでも「産業のコメ」である半導体を守るべきであった。 ただ日本はそれはできない「稲作のコメ」は聖域だからだ。
稲作(コメ)は「主食」「文化」「地域交流」「粗末に扱うと罰が当たる」「娯楽」「巨大産業」「穀物」「先祖伝来の土地」「赤字耕作」「インフラ」「農協」「農水省」「基軸通貨」「政治力」
稲作の苦悩とコメの需要と供給を見てきた私が導き出した答えがこれである。「主食」「文化」「地域交流」「粗末に扱うと罰が当たる」「娯楽」「巨大産業」「穀物」「先祖伝来の土地」「赤字耕作」「インフラ」「農協」「農水省」「基軸通貨」「政治力」 が複雑に絡み合って稲作(コメ)が聖域になったのだ。順を追って説明しよう。
コメは主食。
戦前まではコメを主食に出来る人は少なかった。代わりに蕎麦や芋を主食としていた。稲作はしていたが小作農が多く主食にまでなれる生産量が無かった。コメは盆や正月や祭りのハレの日しか食べれないご馳走であった。戦後農地改革でほほぼ全ての国民がコメが主食になった。主食だから、もし凶作で日本のコメ(ジャポニカ米)が食べれないと騒動になる。平成のコメ騒動がそうであった。キャベツや白菜とは違うのだ。国民に安定したコメを供給出来ないと政権は持たないのである。
コメは文化。
蝦夷地や南西諸島や小笠原以諸島以外は稲作文化である。コメや餅を祭壇に飾らないと祭りが成り立たない。五穀豊穣を願う地域独特の行事も稲の豊作を願って行われる物が殆どだ。稲作がないと日本らしい文化は衰退してしまうのだ。
コメは地域交流。
農村部では稲作が地域交流の原点になっている。水路の掃除(井出堰)や水の配分や草刈りの段取りを集会所に集まって会議をする。その後は宴会になる。畑作は個人で出来るが稲作は地域の稲作農家の協力が無いと成り立たない。農村でコメは地域交流の場になっている。稲作農家は地域のまとめ役で顔役でもあります。
コメは粗末に扱うと罰が当たる。
食堂でもキャベツやトマトやラーメンの汁を残す人が多いが、コメはほとんど残さない、罰が当たりそうだし、残すと育ちの悪さが露呈してしまう。飲食店で「ご飯少なめに」と言うお客さんをよく見ますよね。ご飯少な目にしても値段は変わらないのに、コメを残すと罰があたりそうな感覚が日本人にはあるのです。稲作農家はなおさらそうです。一本一本丁寧に稲を刈ります。コンバインで刈れなかった稲は草刈り鎌で刈ってまで収穫します。 鎌で買ったコメはご飯にしてたぶん一合分もありません。でも稲作農家は丁寧に一本残さず刈ります。
コメ(稲作)は娯楽。
これは非農家の人は意外と思うかもしれませんが稲作のみならず農業はやると楽しいものです。あれだけ「ポツンと一軒家」が高視聴率なのも、一軒家の人が楽しそうに農業をして自給自足の生活や自然を謳歌しているのを見るのが楽しからだと思います。私も桜の季節にウグイスのさえずりを聞きながら田圃をトラクターで耕すのが好きです。
コメ(稲作)は巨大産業。
統計には計測できませんが、稲作は巨大産業なのです。農家の人口は大体170万人です。日本の人口を考えると少ないですね。さらに稲作もやってる農家はさらに少ないと思います。ただ裾野は巨大です。農機具メーカー、農協、道の駅の産直、田園土建と間接的に関わっている人が多いのです。
コメは 穀物。
コメは生鮮食料品ではありません。穀物ですので長期保存ができます。さらに今は保存技術が向上し前年や前前年のコメを普通に食べられます。保存が効くのは安全保障上重要ですが。稲作農家にとってはたまった物ではありません。今年はまだ前年のコメが残っていて、コメ価格は低迷しています。
コメ(稲作)は先祖伝来の土地。
老人の人は自分の代で先祖伝来の土地を荒らすことはできないと考えます。土地を貸して稲作を請け負ってもらう事もできますが、近年は面積が広く長方形の田圃しか受け手がいません。みなさん老体にムチを打って頑張ってます。
コメは赤字耕作。
ほとんどの稲作農家が赤字です。大体97%が赤字です。でもコメは文化、コメは娯楽、コメは地域交流の場であります。赤字でも稲は作ります。 田舎では自分の田圃がありながら荒らしたり、請け負って貰うのは恥と言う文化があります。稲作出来なくなったら男は終わりみたいに見られます。自動車免許の返納と似ています。「稲作と車を運転出来なくなったら男は終わり」みたいなプライドが農村の老人にはあるのです。
コメ(稲作)はインフラ。
ひとたび大雨が降れば地域の土建屋は活気づきます。「ここの水路の土砂どけてくれ」とか注文がまいこみます。そして最大の仕事は農地整地にあります。小ぶりの田圃を整地して正方形にして作業の効率化をするとか畔のコンクリート化とかをします。人口減の今は農村の土建屋は稲作田圃保全で安定的な収入があります。
コメは農協。
農協は巨大です。都会の人には分からないでしょう。農協のAコープは地方のコンビニです。そして地域行事や冠婚葬祭をすべて農協に頼みます。結婚式、葬式、自動車販売、ガソリンスタンド、プロパンガスと数えればきりがありません。勿論貯金も農協です。道の駅とかでは農協が唯一の取引金融機関になってるくらいです。都市銀行や地方銀行など太刀打ちできません。太刀打ちできるのは郵貯銀行位です。この肝心の農協が 結婚式、葬式、自動車販売、ガソリンスタンド、プロパンガス と多角化経営をやりすぎて「みなさまの農協」になっていないのです。 農協が稲作のグランドデザインを書いてくれれば良いのですが、のそ意図も能力もありません。農村部では役場落ちた人が行くのが農協です。
コメは農水省。
都会の人は農水省を軽んじます。農村に住む私も軽んじてます。ただ農村では絶大な既得権益をもっています。そして意外と大きい官庁でもあります。この農水省はまだ稲の活況指数を発表しています。これはまったくあてになりませんよ。自分も2回協力してますが、やっつけ仕事です。農水省もはっきりしない官庁で「主食用のコメの生産は押さえたいが、飼料用のコメは作って欲しい」と言うスタンスです。コメで自分の既得権益を守りたいだけです。 農協との関係もギクシャクしています。
コメは基軸通貨。
幕藩体制時代はコメの石高で各藩の経済力を表しました。「加賀100万石」とかですね。コメを現物で支給される蔵米取り。領地を割り当てられ、そこから年貢を取り立て実収とする知行取があった。 蔵米取りは自分と家臣が食べる分を残して、コメ仲買やコメ問屋でコメを換金した。 知行取 も凶作では年貢を減免するしかなかった。そして江戸時代は物価は上り米価は下がったので、小禄の武士はますます貧乏になっていったのである。今でも農村部では祭りなどでコメを集める習慣がある。奉納袋にコメを入れる。コメが無い人は500円徴収される。コメはまさに日本の基軸通貨である。令和の今年ですらコメの値下がりで農村部の景気は悪い。コメ以外の物価は上がりコメ価格は下がるスタグフレーション状態だ。
コメ(稲作)は政治力。
農村部で手広く商売をする農協をピラミッドとして、土建屋、農機具メーカー、寺社仏閣と農業関係人口は多い。それに竹中すら手が付けれなかった農林中央金庫がうなる資力で睨みを聴かせる。日本最強の機関投資家がバックにいるのだ。この政治力は政治家にとっては脅威だ。地方の政治家は農村票をおろそかにしては戦えない。
この聖域化した稲作を敵に回せる政治家はいない。
ここまで話を聞いたら稲作は聖域だと理解でき、複雑な事情がある事がわかったと思う。私自身もこれからの農政に迷いがある。万人に受ける政策はないとも思っている。今年はコメ価格は大幅に下落している。衆院選を控えた政治家はどのような選択をするのか見ものだ。
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